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1.師匠との出会い

それでは、まぶい組でギターを弾く様になった経緯を少し。

 2000年頃、旧大宮市に越して来た私は、大宮駅西口にある沖縄居酒屋にちょくちょく出入りする様になりました。沖縄音楽に対して、特別な思い入れがある訳ではなかったのですが、喜納昌吉さんの「花」や、坂本龍一さんのアルバムに出てくる沖縄音楽のエッセンスに、東洋的で何となく母性を感じる様な、そして懐かしく暖かい雰囲気に触れてみたいと思っていたのかもしれません。当時は、何のこだわりも無く、沖縄居酒屋の暖簾をくぐったのです。

 その沖縄居酒屋では、毎日の様に、誰かが三線を引き、店の女性が沖縄の音楽を唄っている、とても、エンターティメントサービスが行き届いた店で、すっかり常連になったつもりの頃、一人で来ては、泡盛を感慨深く口にし、女性が居れば、三線を弾いて沖縄民謡を歌う、謎の女好き中年男性がおりました。とにかく、三線が上手。沖縄の文化や沖縄民謡に造詣が深く沖縄出身の店主より沖縄を知っている。それでいて、シマンチュ(沖縄出身の人)ではない。謎が謎を呼んで、色々な話が常連の中で出ている中、私は、
 「うむ。。多少女好きだが、酒癖が悪い訳でもなく、顔を見ると色白でのっぺりしていて普通の中年としか見えない。まぁ、変な人じゃないだろう。」と勝手に判断し、ある日、いつもの様に泡盛を飲んでいる彼を見つけると躊躇する事無く「三線を教えて下さい。」と声をかけたのでした。これが現まぶい組師匠との出会いです。

 「取りあえず三線教室をやりましょうか?」こうして、私の他、三線に興味ある数人(この中には、まぶい組組長も居ました。なんと彼も三線を習っていたのです。)が師匠に三線を習う様になったのです。
 しかし、沖縄民謡の練習は思った以上に地味で要領を得ない。まず歌詞がわからない。三線の楽譜は漢字だらけ、拍子も変拍子だらけ、と。このような状況に、だんだん飽きて来た私は、
「民謡も良いけどビギン等の沖縄ポップスもやりませんか?」等と言う始末。師匠も堪え性の無い私に見切りを付けたのか、じゃぁ、ポップスをやりましょう。ということで、次の練習時には、なんとキーボードと、ギターを持って来たのでした。そして、師匠がキーボード、私が、三線とギター、なぜか組長は「かけ声」という編成が何となく定着する様になり、私のギターとの格闘が始まったのでした。

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師匠のギターを借りて弾いていた頃。

業務連絡・・
あっ、そういえば、このギター師匠に借りたままになっていた。
師匠ごめん。忘れていました。
早速今度の練習の時にでも返しますね。


次回、ギターの購入編に続きます。。



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